エージェントウルトラ

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原題:American Ultra
2015/アメリカ 上映時間96分
監督:ニマ・ヌリザデ
製作:アンソニー・ブレグマン、ケビン・フレイクス、デビッド・アルパート
製作総指揮:バディ・パトリック、ロバート・オグデン・バーナム、ジョナサン・ガードナー、レイ・アンジェリク、スチュアート・ブラウン、トム・ロック
脚本:マックス・ランディス
撮影:マイケル・ボンビレイン
美術:リチャード・ブリッジランド
衣装:デビッド・C・ロビンソン
編集:ビル・パンコウ、アンドリュー・マーカス
音楽:マーセロ・ザーボス、ポール・ハートノール
音楽監修:ランドール・ポスター
スタントコーディネーター:ロバート・アロンゾ


出演:ジェシー・アイゼンバーグ、
クリステン・スチュワート、トファー・グレイス、
コニー・ブリットン、
ウォルトン・ゴギンズ、
ジョン・レグイザモ、
ビル・プルマン、
トニー・ヘイル

(あらすじ)
日々をのらりくらりと過ごしてきたダメ男のマイク(ジェシー・アイゼンバーグ)は、恋人フィービー(クリステン・スチュワート)に最高のプロポーズをしようと決心するが、なかなかうまくいかない。そんなある日、アルバイト先のコンビニで店番をしていたところ、謎の暗号を聞かされたマイクは、眠っていた能力が覚醒。スプーン1本で2人の暴漢を倒してしまう。実はマイクは、CIAが極秘計画でトレーニングされたエージェントだった。マイクは、計画の封印を目論むCIAに命を狙われることになるが……。(以上、映画.comより)

(感想)
映画館にまで見に行かなくてよかった。

まあ、というとつまらないみたいだけど、そうでもない。
そこそこは面白かった。
ただ、見せ場は予告編で大方見せてしまってるなあと。

なんかもうちょっと表現を柔らかくできないんだろうか。
全体にコメデイチックにしてる割には
残虐シーンがけっこうあるので、あまり後味がいいとはいえない。
今の時代、過激でないとお客が見に行かないのかなあ。



それにしてもまったく架空のお話かと思ったら、
実は本当に「ウルトラ計画」っていうのがあったらしい。
1950年代~60年代くらいの間に実際にCIAが
薬物など使ってエージェントを作る、ということが実験的に
行われていたという。
アメリカって国も結構怖い。
ソ連なんかでもやってそうなんだけど。

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1984

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『1984』(原題: 1984/Nineteen Eighty-Four)

制作国 英国
制作年 1984年
監督 マイケル・ラドフォード
主演 ジョン・ハート、リチャード・バートン

あらすじ
1984年、世界は、互いに争うオセアニア、ユーラシア、イースタシアの三つの国家に分かれている。舞台は、その一つのオセアニアのロンドン。
ウィンストン・スミスは真理省記録局に勤務しており、役人として日々、新聞記事の修正、削除、歴史記録の改竄作業を行っていた。

オセアニアの国民は国家リーダーの「ビッグ・ブラザー」に対する絶対的な服従と忠誠を誓わされており、思想警察によって徹底的に監視されている。
徐々に体制に対する疑問がめばえたウィンストンは、秘かに禁じられている日記をつけはじめる。
同時に、ウィンストンは、若い女性ジュリアと出逢い、2人は恋に落ちる。
ウィンストンは古道具屋主人チャリントンから店の二階を借りて、つかの間の愛と自由を楽しむが、ある日、突然、思想警察が踏み込んできた。逮捕されたウィンストンは拷問の受け、人格を破壊され、「ビッグ・ブラザー」に屈服する。

原作は、英国を代表する20世紀の作家の1人でありますジョージ・オーウェルが1949年に発表した名作です。

(ネットより)

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(感想)
冒頭の集会の様子はまるでヒトラー時代のよう。
あれも一種の宗教なのかなと思う。
「党」に忠誠を近い、党に反発するものを裏切り者、と激しく詰り
それがある意味、快感になっているようにも見える。
「狂信的」な状態は、人を酔わせるのだろう。

しかしそんな「一党独裁」体制に、疑問を持つ主人公。
真理省で毎日、歴史の改竄をする主人公スミス。
人間が考えることをやめてただ隷属して、言われたことだけ
こなす社会は恐ろしいが、支配者にとっては最高の体制だろう。

陰に隠れて支配するものは、誰にも邪魔されない。

だから前に出すのは「軽い頭」で見越しに乗せやすい人間なのだ。

この小説が書かれた当時はソ連の共産主義体制を想定して
書かれたそうだが、これは現代にも当てはまるものだ。

例えばチャイナ。北。
独裁者が存在し、反体制的なものは拘束されたり、
処刑されたりする。

しかし「全体主義」は何もそういった国々だけじゃない。


日本だってそうだ。

体制が違うだけで、今ならば「グローバリズム」という
「独裁」が跋扈している。

グローバリズムこそが「善」で「正義」
それに反対することを許さない、というより
反論自体をメデイアが報じることはほとんどない。

消費税にしても、国の借金にしても、
メデイアが報じるがままに信じている人のなんと多いことか。

小泉政権のとき、単なる「首切り」が「リストラ」と
「新語」に変えられ、拒否感を薄めた。
もちろん、リストラされた本人は生活に行き詰まり、
人生を破壊され、塗炭の苦しみを味わった。
中には自殺に追いやられた人々もいた。
でもそれも「自己責任」という「新語」で誤魔化され
しかもあろうことか、それが「正しい」として
批判する人の口を塞いだ。

今、少子化におちいっているのも
政府の目論見通りにコトが運んでいるからではないのか。

日本はチャイナなどに比べ「自由」があるように見えるけれど、
本当に自由なのだろうか。
例えば大っぴらに移民に反対などすれば
「差別主義者」などと即座に非難される。
そうなれば自分で「忖度」して
自分から言わなくなる、という構造。

言論の自由があるのだ、という幻想を抱かせることに成功している。

映画の中では人々は制服(人民服)みたいなものを着ている。
スミスと女が逢瀬を重ねるとき、女は隠し持ってきた
ワンピースを着る。
地味な、何気ないワンピースだ。だが
それを着る女の晴れやかさ、華やいだ気持ちが
伝わってくるのだ。
それは結構強く、大きい比重を占めるのかもしれない。
「自由」に生きているように思わせる象徴的な「ファッション」
好きなように生きていいように思い込ませるツール。

確かに日本は自由な国なのかもしれない。
でもやっぱりどこかで「思い込まされている」ような気がする。


考えさせられる作品だ。


舞台は1984年だが、その街はとても荒廃していて
みすぼらしく、貧しい。
テレスクリーンで監視され、反逆者ゴールドスタインのフィルムを
延々流し、人々に「自発的」に批判させるように導いている。

暗く、陰鬱な重い空気が垂れ込めて
息苦しいような映画。
共産主義でも資本主義でも、行き過ぎてしまったら
どちらにしろ閉塞感が生まれるのではなかろうか。


この中でも興味深いのは
「ニュースピーク」という概念だ。

以下に引用する。

 【「新語法の全般的な目的は思想の範囲を縮小するためだということが分からないのかね? 終局的には思想犯罪も文字通り不可能にしてしまうんだ、そうした思想を表現する言葉が存在しなくなるわけだから。必要なあらゆる概念はたった“一語”によって表現され、その意味は厳格に限定されて、その副次的な意味というのはことごとく抹消されたあげく、忘れられてしまうだろう」
 イングソックとはニュースピークそのものだ。】

言葉を削っていけば、思考も狭められるというのである。
確かにそうだ。
日本は特に世界的にも言葉の数が膨大だ。
それは考えの多様性、柔軟性を高めている。
が、逆に言葉が少なかったら。
思考は短絡的、単純化、単一化してしまうだろう。

現代日本においても、日本語はとても豊かにもかかわらず、
普段我々が使う言葉の脆弱なこと。
最近、ますますそれが酷くなっている気がする。
その一因にマスコミの力があると思う。
わざとなのか、たまたまなのか、
マスコミの使う言葉に民衆が強い影響を受け、そのまま使っているのが
現実で、そんな貧弱さが、短絡的思考に結びついている人が
出てくるようにも思える。

若親分

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「若親分」
1965年

解説

紙屋五平の原案を「赤い手裏剣」の高岩肇と「座頭市関所破り」の浅井昭三郎が共同でシナリオを執筆「忍びの者 続霧隠才蔵」の池広一夫が監督した侠客もの。

ストーリー

日露戦争で戦勝気分に酔っていた頃、南条組の親分辰五郎は、
将棋帰りに殺され、車曳きの三吉の証言で下手人は滝沢組のものらしいと噂された。葬儀は全国の親分が集って盛大に行われたが、
その中には、滝沢組、組長巳之助の顔もあった。その日、辰五郎の一子武は海軍少尉の軍装のまま葬儀に参列して人目をひいた。
数カ月後、南条組二代目武の襲名披露は華やかに開かれた。
幼馴染みの“花菱”の若い女将京子は、武にヤクザになることの無暴さを説いた。
だが武の披露宴は終りに近づいていた。
お開きの頃、三吉が巳之助にとびかかるという惨事がもちあがった。
だが助人に出た武が、海軍仕込みの抜刀術で巳之助の右手首を叩き落した。
父の仇を討った武は、父がひいきにしていた桃中軒雲右衛門を招いて追善興業をうとうと計画した。
武は、その打ち合せの帰り道、若い衆に足蹴にされている教師高瀬俊介を助けた。

俊介は芸者千代梅と恋仲であったが、千代梅が太田黒組の親分伊蔵の持ち物であるため、ことがめんどうになったのだった。
そこへ、先乗りの若い衆が伊蔵のインチキ賭博にひっかかり、
雲右衛門の興行権を渡したと血だらけでころがりこんだ。
かけつけた武は、バクチでけりをつけようと言われ、賭打場にのぞんだが、伊藤の卑劣なやり方に怒った武は、人質となっている雲右衛門を連れて出ていった。
だがその夜、当の恵比須座がつけ火のため焼け落ち、焼け跡の雲右衛門独演会という奇妙な興行となった。
その騒ぎが終らぬ内、京子の手引きで俊介と千代梅が武の許へ逃げこんで来た。
ヤクザの世界ではこの種の行為に対する制裁は厳しかった。伊蔵の掛け会いにも、武の妙案でのがれた二人は、その夜西へ落ちのびた。
見送りの帰り、武の車が父の殺されたガード下に近づいた時、長ドスを抜いて前に立った男がいた。親分を殺った男だ!三吉の叫びで追いかけた武は、その男の背後に伊蔵がいると聞き、巳之助を訪れて、父の仇と誤解したわびを入れた。
そして、単身伊蔵一家の待つ決闘場へ乗りこんだ。
街は、日露戦勝祝賀でわき返っていた。...

スタッフ

監督
池広一夫
脚本
高岩肇
浅井昭三郎
原案
紙屋五平
企画
斎藤米二郎

キャスト

市川雷蔵・・・南条武
朝丘雪路・・・京子
藤村志保・・・千代梅
三波春夫・・・桃中軒雲右衛門
山下洵一郎・・・高瀬俊介


作品データ
製作年 1965年
製作国 日本
配給 大映
上映時間 86分
ネットより


(感想)

公開当時見たので小学三年生の時か。
この頃は既にもう、映画産業は「斜陽」と言われ
段々TVに押されていった。
東映がヤクザ映画で人気を博していたので
大映もその流れに乗っかろうとしたようだ。
雷蔵さんのヤクザは品があって美しい。
今回改めて観て、雷蔵さんが美しいのはもちろんだが
映像が美しいなあとしみじみ思った。
アングルも俯瞰だったり、ちょうちん行列の灯りだったり、
白梅ごしの男女の姿だったり、と工夫が凝らされているように
思った。

大映が続いていれば、雷蔵さんがあんなに早く他界しなければ、
良い作品が作られたことだろうに、本当に残念だ。

倒産が71年ころだったと思うから、この頃から
少しづつ大変な状況に陥っていったのだろうが、
セットひとつとっても、かなり費用がかけられているように
感じた。

雷蔵さんの海軍士官の姿も凛々しく、渡世の義理に
生き、弱気者を助けてやる勧善懲悪ぶりは
見ていてスカッとする。

また、共演の藤村志保もとても綺麗だった。
日本女性の持つ美しさがある。


雷蔵さんは「博徒一代血祭り不動」が最後の作品となる。
37歳だった。
返す返すもあまりにも早すぎる死であった。
本当に無念である。


野いちご

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野いちご
(C) 1957 AB Svensk Filmindustri

英題:
WILD STRAWBERRIES
製作年:
1957年
製作国:
スウェーデン
日本公開:
2013年7月20日
上映時間:
1時間32分


見どころ:スウェーデンの巨匠、イングマール・ベルイマンが1950年代に製作した代表作。名誉博士号授賞の式典の会場へ車で向かう年老いた医師が、道中でのさまざまな人々や出来事との出会いを通じて人生というものを悟る姿を見つめる。『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』などのマックス・フォン・シドー、『夏の夜は三たび微笑む』などのグンナール・ビョルンストランドら、ベルイマン監督作品の常連にしてスウェーデンを代表する名優が結集。深淵な物語もさることながら、緻密な映像美にも魅了されてしまう。


あらすじ:妻に先立たれ、子どもも独り立ちしたため、家政婦と二人きりの寂しい日々を過ごしている78歳の医師イーサク(ヴィクトル・シェストレム)。そんな彼に名誉博士号が贈られ、ルンド大学での授賞式に出席することに。受賞式前夜に死を暗示するような夢を見たイーサクは、予定していた飛行機ではなく、車でルンド大学へと向かう。息子の妻マリアン(イングリッド・チューリン)を同行させて車を走らせる中、ふと彼は青年時代の夏を過ごした屋敷へと寄り道する。その景色を眺めるうちに、過去の記憶がくっきりとよみがえり……。


(感想)

人生の黄昏時を迎え、自分の人生を振り返る。
気がつくと孤独な老境を迎えているのだ。

そしてその背景が、徐々に見えてくる。
彼の思い出は苦いものだ。
愛する人は弟に奪われた。
妻は浮気をする。
母は厳格すぎる人だ。

愛を求めながらも愛にさすらう様な人生。
それが彼の孤独の原因ではなかろうか。
しかしそれでも彼は人間としては高潔で、息子に嫁にも
愛情を示すし、通りすがりの若者にも親切にする。
長年つくしてくれる家政婦にも親密さを求めたりもする。
折り合いの悪い息子にも愛情を示そうとする。


いつまでも頑なではいられない。
彼の思い出は、苦々しいものから、
最後には夢のように美しい風景の中にいるかつての
若き自分、愛する女性が蘇るのだ。


冒頭の悪夢は少し怖い。
「死」のイメージ。
人っ子一人いない街角に馬車が棺おけを積んで
やってくる。
馬車が街灯にひっかかって、棺おけが馬車から転げ落ちる。
棺おけのふたが開いて、見えた遺体は自分自身だった・・・。
って、怖いー!

でも怖いのはこのシーンだけ。
後は、表彰式会場へ行く道中の出来事と、彼の思い出が
行きつ戻りつしていく。
そこで出てくる「野いちご」
一杯につまれた野いちごこそが彼の「幸せだった時」の
象徴ではなかろうか・・・。
「市民ケーン」における「バラのつぼみ」(ローズバット)の
ように・・・。


一度は見たいと思いながら、どうも気乗りがしなくて
なかなか見られなかったベルイマンの作品。
少なくともこの野いちごと第七の封印は
思っていたほど難解でもなく、面白く見られた。


ジャージーボーイズ

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原題:Jersey Boys
2014/アメリカ 上映時間134分
監督:クリント・イーストウッド
製作:グレアム・キング、ロバート・ローレンツ、クリント・イーストウッド
製作総指揮:フランキー・バリ、ボブ・ゴーディオ、ティム・ムーア、ティム・ヘディントン、ジェームズ・パッカー、ブレット・ラトナー
脚本:マーシャル・ブリックマン、リック・エリス
ミュージカル版台本:マーシャル・ブリックマン、リック・エリス
撮影:トム・スターン
美術:ジェームズ・J・ムラカミ
衣装:デボラ・ホッパー
編集:ジョエル・コックス、ゲイリー・D・ローチ
作詞:ボブ・クルー
作曲:ボブ・ゴーディオ
出演:ジョン・ロイド・ヤング、エリック・バーゲン、マイケル・ロメンダ、ビンセント・ピアッツァ、クリストファー・ウォーケン、マイク・ドイル、レネー・マリーノ、エリカ・ピッチニーニ、ジョセフ・ルッソ、ドニー・ケア、キャサリン・ナルドゥッチ
パンフレット:★★★★★(720円/コラムが文句なしの人選で、レコードジャケットを意識したデザインも素敵)
(あらすじ)
ニュージャージー州の貧しい町で生まれ育った4人の青年たちは、その掃きだめのような場所から逃れるために歌手を目指す。コネも金もない彼らだが、天性の歌声と曲作りの才能、そして素晴らしいチームワークが生んだ最高のハーモニーがあった。やがて彼らは「ザ・フォー・シーズンズ」というバンドを結成し、瞬く間にトップスターの座に就くが……。(以上、シネマトゥデイより)


BSにて

(感想)
全く期待なく、何の気なしに見たのだが、その割りには
いやそれだからこそか、なかなか面白く観た。

ジャージーボーイズってグループがいたのかと思っていたら
そうではなく「フォー・シーズンズ」の物語。
ニュージャージー出身だから、「ジャージーボーズ」なんだね。
ガラの悪い町で育ち、そこから抜け出るには何らかのことで
有名になるとかしかしょうがない、なんてところは
「8マイル」でも描かれていた。

ガラが悪いとか、やんちゃとかいうようなかわいいものではなく、
トミーは盗品をさばいたり、強盗を働いたり、結果刑務所にも行ってるので
前科ものである。
そういう過去が、有名になってから暴かれて人気が落ちるのかなあと
思っていたらそうではなかった。

彼らの多くの曲はあまり知らなかったが「シェリー」は
よく知っているし、大好きな曲だ。
もっとも、日本でダニー飯田とパラダイスキングが
九重由美子と一緒に歌ったものを聞いていただけで
本家本元は知らなかったのだ。

後のほうで「君の瞳恋してる」が出てくるが
この歌も大好きな曲だ。
こっちも誰の歌かは知らず、多くの人がカバーしてるので
そっちで聴いているのだ。
単に恋の歌、としか思ってなかったが
それがこの歌にあんないきさつがあったとは・・・。
あれには思わず涙してしまった。


前半のなりあがりの様子、後半グループが空中分解するなど
成功譚の王道のような描き方で、特に奇をてらうという
演出ではなかったが私はそれで良かったと思う。

時代は1950年代ということであえて昔風の
雰囲気の映画にしたかったのではないだろうか。

グループがばらばらになってしまうが、
チェッカーズみたいに憎みあった訳ではなく、
ーーーーお互い色々不満があったにせよーーー
友情というか、「情」はなくならなかったし、
最後には「ロックの殿堂入り」を果たし
25年ぶりにメンバーが顔をそろえて一緒に歌うというのは
感慨深いものがあった。
フォーシーズンズという名前はよく知っているが
さほど興味もなかったし、楽曲とグループが一致もしてなかったけど
それでも結構楽しめた。

なんだかんだ言っても1950年代とか60年代って
やっぱりいい時代だとノスタルジーを感じる。